ヤタローと自分が繋がることで、
日本とインドネシアの架け橋に。
ヤタローと自分が繋がることで、
日本とインドネシアの架け橋に。
- 2012年
- 4月 / 大学院生として勉学に励みながら、ヤタローで2年アルバイトを行った後、会社の雰囲気に惹かれ、正社員として入社を決意する。製造の焼き菓子部門に配属される。
- 8月 / マレーシアのショッピングモールにラスクの店舗をオープンさせるため、現地で日本人社員と現地スタッフの間を取り持つ役割を担う。
- 2014年
- 外国人社員一人一人が自立して日本で生活できることを目標に、生活全般のサポート業務を開始する。
- 2015年
- インドネシアの駅構内にたい焼きの専門店「富士山鯛焼」をオープンさせるため、0から店作りを行う。
- 2016年
- 富士山鯛焼の店舗を、富士宮あさぎりフードパーク内にオープンさせるため、店舗開発に携わる。
- 2017年
- 日本文化に興味があるインドネシア人に向けて、新しい和菓子の開発に挑む。
ヤタローはあたたかくて皆家族のよう。第2の家、帰る場所でもあります。分からないことは答えが見つかるまで分かる人を繋いでくれたり、人間関係が途切れることなく繋がっているこの姿こそが、ヤタローのあたたかさであると思います。留学生を後のグローバル社員として迎え入れるヤタロー独自の取り組みもあり、人を大切にする会社の魅力に惹かれました。
日本のおもてなし文化を取り入れるため、現地で日本人社員と現地スタッフの間を取り持つ役割を担いました。現地で習慣のない朝礼などを取り入れる際は、その必要性を通訳したり、「お客様より売る側の立場が上」という現地の意識を、「お客様に買っていただく」という日本人のおもてなしの意識を根付かせる教育などを行いました。
店の設計やデザイン、制服の選定まで全て行いました。3年間運営に携わり、現在は現地スタッフにお店を任せ、管理のみを行っています。現地スタッフが働きやすい環境作りに力を入れたおかげか、オープニングスタッフ4名が辞めずに働いてくれています。「日本のたい焼き」の味にこだわったことから、駅構内に和菓子店が増えた今でも、たい焼きが「日本の食べ物」として認知され続けています。いずれこの店舗はインドネシアと日本を繋ぐ、架け橋になると思っています。
サポート担当 現在 / 海外事業室グローバル社員サポート担当
現在ヤタローに在籍する外国人社員(中国、モンゴル、ネパール、インドネシア)全員の仕事や生活のサポートをしています。本人が自立して日本で生活できることを目標に支援を行っています。本人と一緒にビザの申請、車の保険加入、配偶者のケア、など手広くサポートしています。私自身、サポートが少なかった入社当時は、不安で母国へ帰りたくなってしまったこともありました。そのような自分自身の経験をふまえ、手厚いサポートを行うようにしています。
自分自身の目標は永住ビザを取得することです。永住ビザの条件で、「日本に対して有益な仕事をしたか」を問われる項目があります。日本とインドネシアを繋ぐため、これからも努力していきます。
インドネシアのたい焼き店舗の管理として、売上、棚卸し、粗利を集計し、本社の管理に報告する役割を担っています。現地の社員がスムーズに働くことができるようにサポートを行っています。
グローバル社員サポート | 40% |
海外店舗開発 | 35% |
国内店舗開発 | 10% |
工場勤務 | 10% |
和菓子開発 | 5% |
日本の四季を楽しむため、夏は夜釣り、冬にはスノーボードをはじめました。特に夜釣りは大学院生のころから始め、浜名湖で釣った魚を自分でさばいて食べたりもします。釣りをしながらアイデア出しも行えるのでいい気分転換になっています。